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<日常からの脱出3>−おいかけっこ−


土曜日の朝、天窓から射す日の光で目を覚ます。
軽くアルコールが体に残るのを感じながらシャワールームに入る。
遺伝的なものだろうか、彼はそんなに”酒”を飲む事が得意ではない。
−−「ちょっとしたパーティーだから」
そんな友人Kの言葉に、一度は断ったのだが、
これといった言い訳を見つけられずにいるうちに、Kは場所を伝えて回線を切ってしまった。
そして半強制的に参加したその”パーティー”はやはり
20代の男女が5:5で顔を並べたものだった。
彼もそういった宴席は嫌いではないが、最近ちょっと面倒になりつつある。
頭から熱い湯を浴びながら、Kに悪い事をしたなと思った。
きっとKは独身の彼の為に昨夜の宴席を用意したのだろう。
その証拠にKはしきりに、彼の隣に座った女の子に彼のいわゆる”美談”を聞かせていた。
彼は一旦シャワーの湯を強めてから思考を取り去るかのように頭を振り、
髪が絡めとった水滴を弾き飛ばした。
バスタオルを手にシャワールームを出ると、
東南に面した窓から、部屋の中に朝日が一杯に広がっていた。

コーヒーが飲みたい
そう思った彼が手を伸ばしたのはコーヒーカップではなく、ポットでもなく、
HONDAの刻印のある、オートバイの鍵だった。


東から射す朝日を背中に受けて、長く伸びた自分の影を追いかけ、西に向かう。
彼の両足に挟まれた4つのシリンダーは爆発を繰り返し、スロットル一捻りで
目の前の光景を手繰り寄せては一気に後方に置き去りにしていく。
しかし、彼が手を振れば同じように手を振り、首を傾げれば同じように傾げるその影は
あいかわらず彼の目の前に伸びている。
何処まで行こうか?ふと彼は思ったがすぐに答えは出る。
目の前のこいつを追い越すところまで・・・。

いくつもの峠を立ち止まることなく登り、下り、曲がる。
そして、たまに回転計の下にテープではりつけた方位磁針で”西”を確認する。
ただ、ひたすら”西”に向かう。ひたすら目の前の影を追いかける。
4つ目の峠の頂に差しかかった時、空気の質が急に変わった。
”キン”と音がしそうなその空気に誘われてシフトを一つ一つ丁寧に落としていく。
彼はヘルメットの中の口元に笑みを浮かべ、展望駐車場に入った。
誰一人いないその空間で、サイドスタンドを蹴りだし、車体を静かに預ける。
左腕の時計は正午をほんの少し過ぎている。
オートバイを降り、手すりまで歩く。
そう、追いかけっこは終わりだ。追いかけていたあいつは今、後ろからついてくる。
体の細胞一つ一つが敏感になっていることに嬉しくなり、しばらく駐車場を歩き回る。
風の通り道を見つけ、手すりに腰をかける。
懐から缶コーヒーを取りだし、プルタブをおこすと、コーヒーの香りが彼の鼻をくすぐる。
一度、お天道様に向かって缶を掲げ、彼はボソッと ”また、俺の勝ち” と言った。


ほどなくして、彼の携帯電話が静寂を打ち破った。
いつもなら無視するところだが、何気なく彼は回線を開いた。
−はい・・・とだけ言うと
「昨日は悪かったな」とKの声が聞こえてきた。
−いや・・・
「二日酔いだろう?」
−いや・・・
「今何してる?」
−コーヒー飲んでる
「そうか、 ところで昨日おまえの隣に座った子・・・覚えてるか?」
−ああ・・・
「今夜、もう一度会ってみないか?」
−なぜ・・・
「おまえ次第だけどな」
しばらく考えたあとで、彼は
−俺が何してるかおまえわかるか?
「コーヒーだろ?・・・そうだな、どっかの山の中で、飲んでるコーヒーは缶コーヒーってとこだな」
−なぜ?
「おまえのやりそうなことだ」
−わかった、これから戻る
「日が落ちるまでに戻れるか?」
−ああ
「また連絡する」そう言ってKは回線を切った。

彼は缶に残ったコーヒーを一息に飲み干して踵を返した。
ヘルメットをかぶりセルモーターを回すと、エンジンが爆音と共に、再び目を覚ます。
Uターンして前輪を東に向ける。
すると彼の目の前にまた、奴が現れる。
後ろ上方を振り向き、お天道様を仰ぎ見る。 ”今度はまた負けるかな?”
伸びていく影を追い越すのはおそらく無理だ。
追いつく前に消えてしまう。

それでも、ヘルメットのシールドを下ろし、クラッチをミートした彼の顔は笑顔だった。
 −今日はあの街に戻る理由が、意味が、ある。
轟音を山々に残して、来た道をひきかえした。

                       −lap5−

 


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